井戸の話

待って!
離して!
私の恋人をどうか
連れていかないで!


その歌に
自然と重なっていた後ろ姿
黒い空港の夜


かわいた公園の枯れ葉を
私は未だに無邪気に踏みしめるのだし
いま
すずめが余りにも平和に鳴く
男はしあわせそうにいびきをかく


私が追っていたものは
私の孤独を埋める道具でした


無限に深く掘られた井戸の底で
ずっと上に見える月のような空が
ひんやりとした空気が
中学校の図書館のにおいと入り混じる
井戸に ぽちゃん、 と
小石を投げ入れようが
深い深い井戸は何も答えない


ああ ああ
井戸のそばでわたくしに声をかけていのちのすべてを救ってくれたあなた
むなしい時間を埋め合わせるための闇を、孤独の代償としてのより乾いた冷たい(ぱりぱり音を立ててはがれてゆく皮膚のような)孤独を、すべて光にしてくれたあなた


私の信仰は狂気でしたか


眠っている男の髪の毛を撫でると
男は幸せそうにうなずくので
もう少しのあいだだけ
まどろんでいようと思うのです


罵られ追いやられながらやっと見つけた崩れかけて古びたあの井戸