不安

土が、
かたまらない。
ぐにょぐにょとした土は
己の存在を訴えたいというしずかな闘志をもやして
ごうごうと輝く炎に入ってゆくのだ



土よ
土だったものよ
ぽろりと手を離したとき
悲鳴をあげて
土は
ただの破片になりました。


それでも
土は土である。
己の根底に響くマグマの振動を、己に内包されてきたまた内包されてゆく何ものも包みこむのだあたたかく包みこむのだやわらかく。

旅立ちの前に

「遠くまで旅する人たちにあふれる幸せを祈るよ」


歌声を耳元でボリュームを上げて病院へ向かった。
祖父を送るときは、動かせなくなった指を一本一本、指先と爪をやさしく押してもみほぐした。気持ちいいと伝えてくれたのを覚えている。
祖母を暮らしたときは、大丈夫だよ、と何度も伝えた。今生きていることも、その先に待ち構えていることも、怖くはない。大丈夫だよ。
そうして何年もが過ぎて、私は祖母の指先をもみほぐし、耳元で、大丈夫だよ、大丈夫だよ、とくり返した。
がんばって、なんて励ましはもう言わなくてもいい。きっと欲しいのはほんの少しのぬくもりや、安心なのだ。


「僕らの住むこの世界では太陽がいつものぼり」


明日を少しだけ良い日にすること。未来の楽しい想像をたくさんすること。


大丈夫だよ、
大丈夫だよ。


祈ろう。

しろいそらに

今頃男はふかふかした暖かな寝巻きを着て、スプリングのよくきいたベッドに横たわって、大きな足を暖めながら眠りについているのだろう。
男の部屋のベランダからは朝の白い空がよく見える。雀の鳴き声。射し込む光。いつもと変わらない朝だ。
男の横顔は光に当たって彫刻のように見える。長い睫毛など朝の光のしずくをぷちん、とはじき飛ばすように伸びている。淡々としながらもリズミカルな眉毛の生え際。頬のふくらみで陰影ができる。


音楽に光と影を取り入れたのは、誰?
この世界に光を創ったのは、誰?


朝の男の横顔を、私はいつもくっきりと思い出すことができる。男に光を与える朝の白い空に、いま、昇華して融けることはできないだろうか。
私は、光の粒子となって男の横顔を自由自在に滑走する。男は、眉間にしわを寄せて小さくうめいてから、ひとつ寝返りを打つ。

地層のように眠れ

かつて父の母は、息子が遠くから連れてきた若い女に、前夜から煮込んだ料理を並べて、もっと食べろ!たくさん食べろ!、などとすすめたのだろうか。お正月にだけ食べられる祖母のりんご入りのきんとんは、幼い頃の特別なごちそうだった。
母は、同じようにしてくれた、祖母が父と母に並べて布団を敷いてくれたように。「まるでもう夫婦みたいに扱ってもらえたのが嬉しくてね、」と恥ずかしそうに笑っていた。
祖父と祖母が毎晩眠っていた座敷の隅には神棚がある。夏には祖父が蚊帳をつるすのだ。小さい頃、両親の帰りが遅いと祖父と祖母の間に潜ってはじっと天井を眺めていた、電球も、あの木目も。
同じ部屋で翌日の演奏を控えて、私は肩と腰を揉んでもらう。とても入念に。大切な弦楽器を磨くように。
病んでいた私は、家族の誰よりも早く死にたかった。道連れにしてでも迷惑にしかならない病人は殺すし殺されたかった。だが、私は生きている。誰も殺してはいない。ただ自然にぽかりと祖母がいなくなっただけだ。
世代はかわっていくのだ。地層のように、骨は埋もれてゆくのだ。死者たちは。順番は、自然のとおりが良い。
私たちも良い夫婦になれそうかな、そんな微笑ましい会話をして、希望も未来も笑顔も、たくさんを持っている若者ということ。
ベビーベッドから寝室へ、寝室から子ども部屋へ。そうしてだんだんに、部屋を移ってゆくだけだ。生は死に向かって、ゆっくりと行進を続けている。
ただひとり、のこった祖母に会いに行く。りんごを甘く煮ていこうかと思う。
自然にかなった順番とは、生や死の営みだけではなく、意識せずつつみこまれてきた愛の連なりでもあろう。
私は、祖母の煮たりんごが好きだ。好きだった。

もぐろう。

使い古された
また来る朝 を待って
あたたかな布団にもぐろう。


ここには
きみを痛めつける人はいないし
何より、きみが楽な思いをすることが
だいじなのだから。


さあ、
もぐろう。
夢の海底まで
ゆっくりと
もぐろう。

まどろむ

朝 目覚めて
窓の光を浴びて背伸びをひとつして
怠惰なからだから怠惰なことばを紡ぎだして
まどろむ時間が好き。


夜 眠る前に
睡眠薬で深く潜る毎晩の小さな恐怖を取り除いてくれる
電話口のあたたかい声に耳をすませて
まどろむのも好き。